パペポTVの概要・エピソード


ルーツ
この番組は、よみうりテレビディレクター(当時)の白岩久弥と構成の疋田哲夫が「(笑福亭)鶴瓶で番組を作ろう」と企画したのが始まりで、鶴瓶が共演相手に上岡龍太郎を指名して番組が始まることになった。しかし、肝心の番組内容がなかなか決まらず、結局「2人に決めてもらおう」ということで、特番で「鶴瓶上岡・激突夜話」(つるべかみおか・げきとつやわ)が組まれる。ここでの2人の会話が後のパペポTVのスタイルになっている。
実は番組開始前、上層部やスポンサーは鶴瓶と上岡の2人のトークだけで60分の番組を作るという企画内容に難色を示していた。このため白岩は、実際の番組企画とは異なった色々なコーナーを織り交ぜたニセの番組企画書を作成し、企画が通るや否やこれを翻し、自分のやりたかったトーク一本の番組を作るという強引な手法で番組の放送枠を獲得したというエピソードがある。
番組タイトル
「パワフルな二人がペアを組んでポップなノリで話を提供する」の略と一般的に言われているが、これは後からあいうえお作文として作られた文章であって、タイトルの由来ではない。本当のところは、大きく口を開けて、その中に握りこぶしを突っ込みながら、関西弁で女性器を発音すると、そう聞こえることから名づけられた。番組タイトル案は50種類用意されていたが、49番目に作られたこの意味不明の余り物的なタイトルがスポンサーの郵便局に気に入られて、採用されたという経緯がある。ちなみに鶴瓶は新春番組「おめでとう!パペポ」のタイトルを、番組内で「おめポ」と略したことがある。また上岡も「マラソンパペポ」という企画はどうかというを話をしていた際に「マラポ」と略して言ったことがある。
ぶっつけ本番のトーク番組
タイトルが示すとおり、鶴瓶と上岡の2人が、60分間トークのみという形式。最近の時事問題から2人の身近な話題に至るまでシナリオなし、ぶっつけ本番の毒舌トークを展開。放送禁止用語も多く飛び出し、観客・視聴者を笑いの渦に巻き込んだ(実際には台本はあったのだが、番組進行に関する部分は「オープニング、2人が登場、舞台の中央に立ってエンディングまで止めずに収録」としか書かれていなかった)。また、60分番組(CMを除くと実質47〜48分)であるがスタジオでの収録時間も50分〜60分前後しか行われず、エンディング後の観客とのやりとりを除いてほとんどカットされずに使用されていた(ただし、後期には収録終了後の模様も時々放送されていた)。
ゲストは通常呼ばずに2人で進行するのであるが、ほぼ毎年恒例となっていた新春スペシャルでは横山ノックが登場。大阪府知事になった後でもよほどのことでない限り登場した。他には通りすがりに横切ったあのねのね、酔って乱入し暴れた桂ざこば(当時は桂朝丸)、交通標識を倒し逮捕された顛末を話した北野誠、化粧まわし姿でレコードの宣伝をした大空テント、客席から引っ張り出された甲斐よしひろ、相撲甚句を歌わせるために呼ばれた桂文福、そして第6回目の放送で乱入して性的な発言を連呼し、この回に限り郵便局がスポンサーを降りる事件にまで発展した元AV女優の黒木香、鳩に色彩をつけようとしてスプレーを吹き付け、羽を固めてしまったことが番組で話題になった手品師、一陽斎蝶一などがある。
ゲストではないが、鶴瓶の話を補足するために笑福亭晃瓶・笑福亭瓶二も登場した回があった。
関西ローカルから全国ネットの人気深夜番組へ
元々は関西ローカルの番組であったが、たまたま出張で大阪に来ていた日本テレビのプロデューサーの目に留まったのと、1988年10月から関東圏の民放各局が24時間放送体制を取ることになり深夜番組を大幅に追加する必要性が出たこともあって、同月より月曜日深夜の「週刊テレビ広辞苑」、水曜日深夜の「藤本義一のおもちゃ箱」とともに東京進出、全国ネット化する(全国ネット開始当時、日本テレビではこれらの番組はすべて月曜日の深夜に放送され、深夜1:10 - 2:05に「パペポTV」、2:05 - 2:35に「週刊テレビ広辞苑」、2:35 - 3:05に「藤本義一のおもちゃ箱」と、3本続けて放送されていた)。これがきっかけとなり、鶴瓶・上岡両名が全国区人気を得ることとなった。
1990年頃のデータによると、平均視聴率は深夜1時過ぎからの放送にもかかわらず関西で5%、関東でも3%前後取っていた。ちなみに、テレビ番組ガイド誌の企画で「放送時間中は寝ているが、後でビデオ録画したものを視聴している層」を含めて視聴率を調査し直したところ、その合計はゴールデンタイムの人気番組並みの19%にものぼることが判明した。また、関東でも5%近いビデオ視聴者層がいた。このことからも、深夜番組としては異例の人気ぶりであったことが伺える。
また、芸能界にもパペポファンは多く、番組で紹介されただけでも黒柳徹子、加賀まりこ、梶芽衣子、萩原流行、加藤茶などがいた。また、ロンドンブーツ1号2号の田村亮は「高校時代、毎週のように観覧し、単位を落としそうになった」と鶴瓶に別の番組で共演した際に打ち明けた。
無駄を省いた編集手法と「マル禁マーク」の発明
パペポでは、現在のトーク番組の基本ともいえる、突っ込みテロップ・話題になった人の顔写真・サイドスーパーなどを全くと言っていいほど使用しなかった。1996年の新春スペシャルのエンディングで客席へ質問を募集した際、観客から鶴瓶に対する質問の声が聞き取りにくかったため、フォローするためのテロップを使用したことがあるが、「鶴+龍」時代を含めて13年間の放送の中でトークの内容についてテロップ・スーパー類を使用したのは、このときの一回限りである。このことから、この番組では純粋にトークだけで勝負をしていた番組と言える。
ただ、さすがに放送禁止用語や放送上不適切な発言をした場合は、当初は音のみをカットしていたが視聴者から「何を言っているのか分かる」と指摘されたため、テレビで見ても分からないように、口元を黒枠で隠し、後に顔全体を「○の中に『禁』」と書かれたサイドスーパーとサイレンの音で覆い隠した。「マル禁」と言われるこの編集手法は「パペポ」が発祥であり、後に形を変えて他の番組でも使用されていくこととなった(ただしあまりに話が長く続く場合は「そんなこんなで○分経過」の字幕もしくは砂嵐を挟んで次の話題に移ると言う手法をとった)。
「原則当日先着順」異色のスタジオ観覧募集
収録は開始当初読売テレビ旧社屋で行われ、新社屋移転後は主に読売テレビ本社第2スタジオ(収容限界人数約300名)を使用(※ただし1988年秋〜90年秋は第2スタジオを夕方の帯番組「ざまぁKANKAN!」が使用していたため、第3スタジオ(面積及び収容人数は第2スタジオと同じ)または第1スタジオを使用していた)。また、新春スペシャルの収録や春休み、収録日が祝日に当たる場合等、観客の増加が見込まれる回の収録は通常のスタジオより大きい第1スタジオ(収容限界人数約600名)を使用していた。ちなみに第1スタジオを使用する時の告知は番組内で「次回はちょっと大きいスタジオで収録します」というテロップが表示されていた。
公開収録も原則として事前申し込みが必要なく、事前に予告された収録日に配布される入場整理券を入手すれば、自由に見学することが出来た。整理券の配布は番組開始当初収録日の夕方に配布されていたが、観覧希望者がスタジオの収容限界人数を大幅に上回るファンが集まるようになり、早朝から並ぶ観覧希望者が後を絶たなくなったため当日正午配布に繰り上げられ、その後更に朝9時半に繰り上げられた(観覧希望者は朝に整理券を受け取り一度解散して、夕方に再集合していた)。
しかし、上岡の「女性最々優先!!野郎(男)どうでもええ」という趣向のおかげで、女性グループ・単独女性が優先的に整理券を受け取ることとなる。入場の際も女性が全員入りきるまで男性は入場できない(男女混合グループは男性と見なされる)。そのため、早朝から並びやっとこさ整理券を受け取った男性ファンは夕方に再集合するが、夕方受付ぎりぎりにフラ〜っと立ち寄った女性ファンが先に会場入りできるため、正午ぎりぎりに整理券を受け取った男性は入場出来ないこともあった。番組最盛期は、配布直後にも整理券が入手できないと言うことがあり、入手できなかった男性達は後日電話で申し込むと言うことを行っていたこともあった。
観客がスタジオに入場する際にスタッフから小さな座布団が手渡され、床に敷かれたカーペットの上にそれを敷いて座って観覧するスタイルで、それが1人あたりの占有スペースの目安となっていた(カメラより後方はパイプ椅子、立ち見席が用意された)。観覧スペースはほぼ毎回満杯の観客で埋まっていたが、大学の試験シーズンに当たる1月中旬〜下旬だけは普段よりも相当閑散としており、男性客も前列で収録を観ることができた。なお、最終回の収録では最終的に1600人もの観覧希望者が詰め掛け、収録に使用した第1スタジオに入りきれなかった観客は第2スタジオ及びロビーに設置した巨大スクリーンで収録の様子を見るという処置が施された、という話がある。
番組開始当初から中期頃までは両名のスケジュールの関係で2、3週分のまとめ撮りとなる場合も複数回分の収録を続けて観覧できたが、冬場に2徹した(月曜の収録を見るために土曜の深夜から並んで整理券の順番待ちをした)ファンが出現し「このままでは死者が出る恐れがある」と言う現象が起きた。この事件が起きてしばらくしてから1本目は収録当日の受付、2本目については葉書による事前申し込みで当選した者が観覧できるシステムに変更された。このシステムは朝から並べない京阪神地区以外のファンやサラリーマン、OLに対する救済措置にもなった。
ちなみに、新春スペシャルの収録が終わった後は読売テレビ1階のロビーに観覧客を集め、その前で鶴瓶、上岡、ノック各氏、及び白岩プロデューサーらが挨拶し、缶ジュースで乾杯して一年を締めくくる(新春スペシャルではあるが収録は年末に行われるため)のが恒例となっていた。また、新春スペシャルでは録画放送であるにも関らず「生放送」と嘘をつき、それを聞いた観客が笑うと鶴瓶が「何がおかしいんや」とツッコミを入れるシーンが毎年恒例となっていた。その際は、かならず「住吉神社」にみんなで行く、という設定になっていた。ジェットヘリで鶴瓶が東京から急いでやってきた、という設定も。また、大晦日の夜にフジテレビ系で鶴瓶と上岡のコンビが司会の特番が放送された年度の新春スペシャルは、日本テレビのスタジオから生中継という設定で放送された(もちろんウソ)。
番組企画・イベント
番組としてのイベントとして、大阪キタで1週間開催した「パペポシアター」(1988年)、大阪城ホールで2回(1989・92年)、日本武道館(1992年。武道館でこういったトーク・イベントは初だった)・ニューヨークでトーク・イベント(1996年)を開催した。
さらに1990年、番組で「2人が相撲をとったらどちらが勝つ?」という話から「嵐の春場所」と称し長居公園でイベントを開催し2万人を集め、客の押し合いで5人が怪我するというハプニングもあった(このときのある新聞の見出しには「救急車ピーポーパーペーポー」と書かれていた)。なお、この時の勝敗は収録で東京に行った上岡の代理で弟子のテントが、鶴瓶に5回とも倒されている(この「長居パニック」は、後の武道館イベントにつながる)。
また、番組人気が最高潮の時に番宣ポスターを制作したことがある。鶴瓶・上岡両名が上半身はタキシード姿も下半身丸出し(当然モザイク処理されている)で写っており、糸井重里が考案した『見てるあんたも同罪じゃ。』というキャッチコピーがつけられたシロモノであった。(当時はヘアヌードの解禁が話題となっていたこともあり、それに便乗したアイデアと言われている。)番組最後で葉書が読まれた視聴者にプレゼントされたが、中には「こんなもの受け取れません」と番組に送り返した視聴者もいたが、強制的に再び番組から送り返された(らしい)。
スポンサーと番組プレゼント
番組スポンサーは、開始当初は郵便局(近畿郵政局)単独で、後に郵便局を含む複数スポンサーとなり、92年に郵便局が降りて民間企業の複数スポンサーであった。このため、郵便局がスポンサーであった時代は、番組最後に視聴者からのハガキを読むコーナーで、採用された人にゆうパックによる地方特産品(ふるさと小包)がプレゼントされていた(※途中メインスポンサーに活け伊勢海老料理・中納言がなったこともあり、その際はお食事券もしくは伊勢海老1匹をプレゼントした時期もあった。中納言の降板後はハガキを読まれた視聴者に番組特製のオリジナルテレホンカードをプレゼントしていた)。
なお、郵便局がスポンサーの時代には、ふるさと小包のプレゼントを提供した郵便局の位置を記した日本地図のフリップを出していたが、中納言時代に「日本地図のフリップがなくなって寂しい」という理由で、当選者の住所と氏名を記した日本地図のフリップを作成し提示するようになった。その後しばらく経ってから、ある応募者(実はABC中邨雄二アナの妻)が自分の写真を応募封筒に同封してきたのがきっかけで、途中から当選者の顔写真を日本地図の周囲に貼り付けだしたが、半年ほどで日本地図が応募者の顔写真でいっぱいになり、収集がつかなくなったため取りやめた、という経緯もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』