パペポTVの番組史に残るエピソード ・出来事


鶴瓶は「通常あまり遭遇しない事態」に巻き込まれる(一説には自分から巻き込まれていく)ことが多く、数多くのエピソードがある人物である。この番組が始まる以前から、上岡に会うたびに「何かおもしろいことはなかったか?」と聞かれて話をしていたという(その雑談がパペポTVの原型といわれる)。従って、主に鶴瓶のエピソードが番組内のトークの骨格となっていると言っても過言ではない(番組後期では上岡のひとり話も目立ったが)。 ただ、鶴瓶のエピソード(鶴瓶噺にも通じる)だけではパペポTVとはいえず、上岡がうまく話を整理したり、あおったり、断固否定したり、理不尽な対応をしたり、時には自説をねじ込んだりすることで鶴瓶のトークにおもしろさが生まれ、やがてパペポTVのエピソードとなったものも多い。下記のエピソード・出来事は、やはり鶴瓶・上岡両人が揃ってはじめて成り立っていたものといえる。

「ものまねタクシー運転手」
1989年7月。仕事柄タクシーに乗る機会の多い鶴瓶だが、ある日乗ったタクシーの運転手は、いきなりものまね、しかも動物のものまねという、聞いているのが苦痛となるような芸を始めてしまった。これだけでもあまり遭遇しない事態といえるが、収録時に話をしても信用してもらえなかったので、スタジオ内に電話を用意してもらい、その運転手に直接電話をかけて確認してみようということになった。運良く運転手がつかまり、鶴瓶の好リードで運転手のものまねを引き出すことに成功した。スタジオも大爆笑となり、鶴瓶の話が事実であるということが証明された。

「怒りのバンクーバー事件・通訳しなはれ」
1989年8月。上岡に「一流スターの証明」と冷やかされるほどの長期夏休みをとった鶴瓶は、1989年の夏にバンクーバーを訪れた。帰路につく際、空港のカウンターで手荷物が出てこないことを空港職員に訴えたが、ぞんざいな対応をされてしまった。それだけならよかったが、次の訪問地であるハワイ行きのCP(当時のカナディアンパシフィック航空)便に乗り込んだところ異常が発生し出発しない。
それまでの応対に立腹していた鶴瓶は、日本語での案内がないとCPの担当者に食ってかかるが、当然通じないので、近くにいた日本人に同時通訳を頼み、猛烈に抗議した。通じるはずもない大阪弁でまくしたて、ひととおり啖呵を切ると「通訳しなはれ!」とその日本人に通訳をさせた。はじめは穏やかだったその日本人も、鶴瓶の勢いに押されて激しい調子で通訳した。結局その飛行機は飛び立てず、代わりの便をファーストクラスに振り替えさせて中継地のロサンゼルスに向かった鶴瓶だったが、ここでも次のハワイ行き便に異常が出たため足止めをくらうなど散々であった。
話はこれだけでは終わらず、ハワイからの帰りの便の飛行中、警告音が鳴り響いた。乗務員に訳を聞くと、はじめは重量オーバーとのことだったが、よく聞くとエンジンの半分が不調だということがわかった。恐怖の中で「二度あることは三度ある」という言葉を身にしみて体験した鶴瓶だったが、ハワイからの飛行中に無線らしきものを使っている若者がいたので、降りる際にとがめると、ふてくされた態度をされたり、叱る様子を写真に撮られたりした。あまりに自分の思いが通じていないことに憤った鶴瓶は、「通訳しなはれ!」と言い放った(この部分のみ鶴瓶の「まとめ」である)。

「餃子二重発送事件」
1990年1月。鶴瓶は上岡に、前年のお歳暮として大阪地区で有名な点天の餃子を贈った。事前に確認してから送ったにもかかわらず、上岡が「届いていない」と言うため、鶴瓶は弟子や夫人まで巻き込んで点天に発送を確認するなど大わらわとなった。しかたなく点天側も再発送したところ、結局先に送ったものも届いており、二重発送の事態となった。
上岡に言わせれば「自分が美味しいと思ったものを他人も美味しいと思うというのが間違い」ということで、あまり関心がなかったものと思われ、事実食べきれないので近所に配って回ったらしい(ただし鶴瓶も一口餃子とはいえ一度に200個分送ったらしく、上岡家で食べきれなくて近所に配るのも不思議ではない)。これを聞いた鶴瓶は「人間性疑いますわ」と大いに憤慨していた。これ以降、ひどい仕打ちを受けるたびにこの話題を持ち出していた。

「健さん登場」
1991年1月。このころすでに「あまりに話ができすぎているので事実をねじ曲げているのでは」との疑いをもたれていた鶴瓶は、とにかく通常では体験できない事態に遭遇することを証明しようとしていた。1990年の暮れ、打ち合わせでよみうりテレビ内のレストランを訪れた鶴瓶は、近くの席に疲労困憊して突っ伏しているコックを見つける。その人の名札を見ると、「健(すこやか)」さんという珍しい苗字の人だった。
「名前が健やかなのに健やかやあらへん!」という、鶴瓶噺におあつらえ向きのケースだったが、誰も信じようとしないので、1991年の新春スペシャル収録中、わざわざ健さんを呼び、「わたし、健です!」と叫ばせた。これで一同鶴瓶の話に納得したが、観客の一人が「大した話ではない」というので、聞いてみるとその人は「黒丸」という珍しい苗字だった。

「阪急苦楽園口駅・電話ボックス破壊事件」
1991年5月。ある日鶴瓶が自宅に戻ると、家族がいなかったので、行きつけのうどん店に行っているものと考え、このころのマイカー・日産ローレル(ゴルフコンペの景品)で後を追うことにした。阪急電車・苦楽園口駅の近辺にあるうどん店を目指したが、なかなか車を停めるところがなく、ようやく縦列駐車できそうなポイントが見つかった。しかし、まだ免許を取って時間が経っていなかった鶴瓶は、縦列駐車に慣れていなかった。斜めにバックしたときに、「ガンッ」という衝撃を感じたが、縁石に擦ったものと考え、「ここは合わない」ということで他の場所を探してそこから走り去った。
近くに駐車してうどん屋を目指すと、さきほど駐車しようとしたところに人だかりができているので、近寄ってみると電話ボックスのガラスがメチャメチャに破壊されていた。目撃者もいたので鶴瓶は逃げることもできず、交番に行って事故処理を依頼した。事故状況としてはガラスが割れただけだったが、交番の巡査は「電話ボックスに車が飛び込んだ」と指令を出し、大がかりな処理班が来てしまう事態となった。
鶴瓶は「カレーうどん」が食べたいだけだったが、事故を起こした人間がその場を離れて「カレーうどん」を食べるわけにも行かず、しかたなくガラスの掃除などをしながら処理班の到着を待った。しばらくして大勢の処理班が到着したが、NTTの担当によると「この程度なら2人で済む」ようなものだった。鶴瓶は陳謝したが、NTTの担当者は「あぁ鶴瓶さんですか。やすしときますわー(安くしておきます)」と拍子抜けな対応だった。それならまだしも、「これを機にひとつよろしく」と、逆に営業をかけられる始末であった(もちろんこれはNTT担当者の茶目っ気である)。
鶴瓶の運転歴の中では、人身事故ではないものの、かなりの騒動となったため、この事件によって「運転が下手」という印象がかなり強いものとなった。

「昆布の味 涙の抗議」
1992年1月。先の餃子事件のあとも、味覚に関する話題は終わらなかった。ある時上岡が「塩昆布は安物がうまい」と発言した。どちらかというと下品な味がよいということだったので、その道の味にうるさい鶴瓶は姉から聞いていた奈良の昆布屋(いわゆる高級品ではないとされる)に塩昆布を手配して贈り、上岡をうならせようとした。しかし1992年の年明け1回目の収録前、上岡は弟子に対して「君の贈ってくれた昆布はうまかった」と話した。そこには鶴瓶も同席しており、鶴瓶にとっては当てつけのように感じられた。
前々年の餃子事件に続き、前年に牛肉を贈った際も大して喜ばれず、3年続けて自分の味覚・善意(自身の生い立ちが色濃く反映されている)を否定されたと感じた鶴瓶は、番組開始直後から猛烈に上岡に食ってかかり、弁解をも許さないほどであった。その回は過去に論破された話題を次々持ち出して大激論となるなど荒れた回となった。
後日鶴瓶には当の昆布屋から「さらに精進します」という手紙が届いたので、番組内で紹介して上岡の非道ぶりを印象づけようとしたが、逆に返り討ちに遭い、他の嗜好に関しても完膚無きまでに「下品」と指摘された(たとえばピロシキ好きを下品・粗野などと決めつけられるなど)ため、両手を振り回して大暴れするなど、鶴瓶の暴走ぶりが目立った時期でもあった。

「鶴瓶の暗証番号公開される」
1995年6月。この回は2本録りの2回目で、ハワイ帰りの鶴瓶は時差ボケで苦しんでいた。収録のしばらく前のある日、鶴瓶は名古屋に行く用事があったが、所持金が少ししかなく、しかも祝日でATMが使えなかったため、カードキャッシングを使うことになったらしい。トーク中に現金を下ろす話をはじめたとたん、上岡が「暗証番号を当ててやる」といってある番号を口にした。すると鶴瓶は大笑いしつつも狼狽し、なんとかして否定しようとする。しかしその様子からは番号が図星であることが丸わかりだった。上岡があまりにしつこく番号を言うので、「ええ加減にしなはれ!」とつかみかかり制止しようとするシーンもあった。
実はその日、2本録りの1本目に怖そうな二人組が来ており、1本目の回ではほとんど笑わなかったので、「怖い人」と思って鶴瓶は気にかけていた。1本目は先着順なので、やれやれ2本目は大丈夫と思っていると、2本目にもその二人組がいた。鶴瓶にとっては睡眠不足と恐怖感の中でのトークであり、そんな中で暗証番号が公開されたとあっては狼狽するのも当然である。ほとんど笑わなかった二人組が暗証番号の話になると大笑いをはじめたので、何度も「この番号じゃないですよ!」と念を押していた。あとで聞くと、特に「怖い人」ではなかったらしい。
この公開を機に、番組視聴者を中心に「鶴瓶の暗証番号は○○○○」という認識が生まれ、後日鶴瓶がATMに並んでいると、どこかの女性が「暗証番号、○○○○ですね?」などと話しかけたりした。
類似のケースとしては、後年鶴瓶の携帯電話の番号が公開された(というより誰かが公衆電話にいたずら書きした)というものがあり、この時は見ず知らずの一般人から電話がかかってくるなど大変だったようである。しかし、鶴瓶もあまり怒ることなく話を聞くこともあり、そんなときはかけた方がかえって狼狽してしまうこともあったようだ。

「PAPEPO TV in New York」
1996年9月。それまでに大阪城ホール・日本武道館での講演が成功し、前年に上岡が独演会を開催した時に失敗の連続だったこともあり、リヴェンジもかねてパペポ公演としてのニューヨーク遠征が計画された。9月28日、タウンホールにて開催、入場料は20ドル。全編のテレビ放映はなく、1997年元旦スペシャルと、日本テレビとの共同制作で放送された報道番組「スーパーテレビ情報最前線」で紹介されたのみである。ただし「スーパーテレビ」では鶴瓶と上岡の密着取材と、イベント制作に至るまでの舞台裏を紹介する内容が大半を占めており、ニューヨークの舞台上でのトークは終盤にほんの僅か(1分程度)映し出されただけであった。現地在住の邦人を中心に入場者数は1475名、入場できなかった人も約200名に達する人気であった(人数は番組で発表された数値)。

「500回記念生放送」
1997年4月。番組500回目を記念して観客を入れずに生放送が行われた。しかし当日は読売ジャイアンツの開幕戦の中継のため最大2時間の放送延長が行われる予定となっており、試合が長引いたため野球中継は最大枠で延長された。このあおりを受けて生放送の開始時間も2時間遅れとなり、午前3時40分からの放送という、もはや早朝番組に近い時間帯での生放送となった。番組の終盤で上岡が鶴瓶をそそのかし、生放送であるにもかかわらず放送禁止用語(関西弁で女性器の意味を表す俗語)を鶴瓶が言ってしまったところで提供に入り、生放送が終了した。ただし日本テレビを始め同時ネットされていない局では上からピー音でかぶせられていた。

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